(T)鈴木のたっちゃん
たっちゃんが自分の金玉は3つあると信じていることが発覚したのは小学2年生の授業参観の日だった。
おそらく保健の授業だったのだろう、確証はないが、それ以外授業参観で
”自分の金玉の数を数えてみよう”なんて企画はやらないはずだ。
たっちゃんとは、小学校低学年で最も仲のいい友達だったと思う。
フィリピン人ハーフのディグ・ニッコという悪友が転校してきて、
つるみ始めるまでとても仲良くしていた記憶がある。
たっちゃんはなよなよしていて、少しのんびりでさらに丸眼鏡をかけていた。
耳かきを絶対しないタイプの人間で(人生で2人で会ったことがある、祖父とたっちゃんだ)耳から時々黄色いのが出てた覚えがある。(祖父の黄色いのは見たことがない)
当時は耳から黄色いのが出ている事なんて全く気にならなかったし、それはたっちゃんも同じだったと思う。
たっちゃんの家は学区のはずれの団地だった。
家族も、ザ・団地家族といった感じで、幼心に暖かい雰囲気を感じていた。
カップラーメンは必ず器に移してから食べるタイプの家族だった。
(このタイプは今のところ僕の人生で彼らの家族しか出会ったことがない)
彼は自分のパソコンを持っていた。
親のお下がりかもしれないが、当時(1999年くらい)小学生がPCを
もってるなんて、いま思うとすごい事だ。
そして同じ学年の人たちが見れるHPを作っていた。
みんなではなせるチャットがあったり、簡単なゲームもあったと思う。
本当にすごい。現代の小学生だとしてもあそこまでできる子はなかなかいないんじゃないか?
それなのに、当時は特にそんなにだれも驚いていなかった。まあ小学生なんてそんなもんだろう。
いまあるかはわからないが、どうしてもそのHPの名前が思い出せない。
中学にたっちゃんがいたかの記憶もない。
同じ小学校なら私立に進まない限り一緒のはずだ。
その頃になるとたぶん二人は明らかに違うグループに分けらてれいたんだと思う。
僕は活動的で少しやんちゃな事もするグループだった。
そもそもたっちゃんはグループというものに属してすらいなかったかもしれない。
いまになって欲をいえば、活動的なグループに属しながらも、たっちゃんとも
良い関係を築き続けていけるような少年でありたかった。
たっちゃんはとてもいい奴だった。
こういう経験は誰しもあるんじゃないか。
辛くて寂しい後悔。どうしようもない。
だが、僕は今回はここでちょっとがんばってみようと思う。
つづく