丁字路

サラリーマンYと脱サラリーマンTが書くブログ

丁字路

―別々の道を選んだ2人の記録―

(T)鈴木のたっちゃん3

ここで1秒くらい間があった。

 

「あ、たっちゃん??」

「そうだよ、久しぶり」

「久しぶり、何年ぶり?」

「何年ぶりかもわからないくらい久しぶりだね」

確かにそうだ。いつから話さなくなったかも覚えていない。

「小学校の卒業生の住所の件だよね?」と彼は聞いた。

「あ、うん、」「いや、住所は口実でたっちゃんいまどうしてるか気になって話してみたくなったから」

また少し間があって、

「T君らしいね」と彼は笑った。

僕はそれを聞いて、自分が"固有の自分らしさ"を小学校の時から

保持できていた事を知って、とても嬉しかった。

 

その電話で僕はLINEのIDを伝え、今度会う事になった。

たっちゃんはなんとなくLINEなんてやってなさそうと思っていたが、そうでもないみたいで安心した。と同時になにか少し寂しかった。

 

 

たっちゃんは結構、普通の人になってた。

隣町の高校に通い、名古屋の大学に通い、そのまま大学院に進んで、

いまは地方の都市銀行でシステムの保全をしているとの事だった。

 

「たっちゃん、小学校の時、HPつくってたよね?」

「ああ、あれね~、何気に卒業まで続けていたんだよ」

「あの年で、あの時代にHPつくるってすごいよ。てっきりそのままハッカーにでもなってるんじゃないかと思った」

彼は笑って、少し真面目な顔になって「継続はほんとに難しいよ」と言った。

 

そのあと二人は真面目な話を1時間くらいして別れた。

たっちゃんと会っていたのはたぶん2時間くらいだったけど、お互い、お互いのどこが変化したかも分からないくらい久しぶりだったけど、二人の間にはなんとなく心地良い雰囲気が流れていた。

 

小説とかだったら、ここで感じた事、結論を言わずに、

”自分はなんとなくこう思うんだけれど、あなたはどう思う?”

っていう言語化できない微妙なクオリアを伝えることが出来るんだと思う。

 

僕はそこまでの力量がないので、感じたことの一部を飛躍させながら無理やりこのブログ向けに言語化すると

 

社会人になると、論理的思考(ロジカルシンキング)に毒されやすく、損得勘定でものを考えがちになってしまう、要は金とか利益を最優先に動いてしまいがちになるんじゃないか?

ということだ。

個人個人が自分が幸せを感じることを考えて、それを実現するためにお金がないとダメならその分だけ稼げばいい。

 

僕は良く晴れた日に、洗濯、掃除を済まして、家の近くをゆっくり散歩して、静かな喫茶店で読書したりとか、

ある朝起きたら、横に彼女が寝ていて、彼女が泊まりに来ていたことを思いした瞬間とか、そういうことに幸せを感じる。

会社にいたら、そういう幸せを感じる場が少なくなっていた。

月に残業を100時間とかするのは、お金を稼ぐ事自体とか、他人にこき使われる事に幸せを感じる人のやることだ。

 

うちの近くの川にいるアヒルはロジカルシンキングもしないし、労働もしないけど、今日も気持ちよさそうに泳いでいる。

(Y) お買い物のプロ

 

御機嫌よう、皆様。

 

本日は天気も悪く、どんよりした気分になりがちである。

私は先日iphoneにおまけで付いているイヤフォーンを無くしたので

晴れでもどんよりしたかもしれない。

 

私は7畳1間に住んでいる。

家賃は3.5万円、テレビとベッドと机を、置いている。

 

部屋の中にはそんなに物は多くない。

そしてそのほとんどは何処にあるかわかっているし、よほどのことがない限り動かさない。

 

しかし、イヤフォーンはなくなった。

 

間違いなく、部屋でなくなった。

 

帰ってくる時にはイヤフォーンを付けていて、次の日出て行くのにないと気づいたのだ。

 

絶対部屋にあることになる。

 

いや、あり得ない。

なくなることがあり得ない。

 

ゴミを捨てでもしない限り、家の中と外で空気以外の出入りがない。

だから絶対家にある。

 

でもポケットも見たけど、

洗濯機も見たけど、ない。

ゴミ箱も見たけど、ない。

 

どうしてもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、

 

 

 

 

仕方なく5,000円で買える最高のイヤホンを探して、買った。

私は職業柄、買い物にとことん厳しい。

同じ金額なら最高の性能を求めるし、

ある機能が必要ならそれを最低のコストで満たす。

モノであれば、売却時の残存価格も考慮する。

 

条件に合うものがなければ絶対に買わない。

 

 

妥協しないのだ。

 

 

 

今回の絶対条件は、

 

·リモコン、マイク付き

·低音がちゃんと出る

·ケーブルが丈夫

·軽い

·差込口が強い

(意外とざっくりしていて自分でも驚いた。)

 

で、これまだ使っていたイヤホンよりもほんの少し音質面で突き詰めたい思いがあった。

なんせ、なくなったから買うだけであり、

前のに不満はなかったのだが同じ買うなら、良くなる方がいい。

 

 

 

 

1時間の視聴と、比較により、これを満たしたのは

一つだけだった。

 

NUARL NE110

 

ブランドなんて聞いたことないしメーカーも無名。

ただHPは洒落すぎている。もはや、すきだ。

 

http://nuarl.com

 

 

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こちらが写真。

 

·リモコン、マイク付き

·低音でかい!

·ケーブル紐で強い

·金属と樹脂で軽い

·差込口はL

 

·ハイレゾ対応

 

·4,000ほど。

 

いや、項目を全部満たしたのだが、、、

 

ハイレゾ対応はすごい。

ソニイとかオオディオテクニカとかハイレゾ対応のは高い。

一万円はする。

 

いや、まて、ハイレゾとはなんぞや?

これがまた怪しいので考えたい。

 

ハイレゾというのはまあ言えば解像度が高いということ。

テレビでもアナログハイビジョンフルハイビジョンってどんどん解像度が増した。

今や4Kってのがでてきて、いやそんな違いわかんねえわ。みたいな問題も出てきてる。

 

そもそも日本人の6割がメガネ、コンタクトの時代に、

さらに細かいものまで見せようみたいな典型的な日本企業の

オーバースッペック戦争を行うなんて、もう、おメメが取れても知らんぞ、と言いたくなる。

 

この流れで、音も解像度を増したものを、、、

となったのか、出てきたのがハイレゾなのだ(たぶん)

 

これに関しては、私に逸話がある。

 

 

 

私が家電量販店でバイトしていた時のこと。

イヤホン担当じゃないのに人が足りておらず、客のおじいちゃんに呼ばれた。

 

爺『おい、ハイレゾのイヤホンどこや』(大声)

Y『あちらの、イヤホンの、コーナー、です!』(大声)

 

爺『ええ?なにい?』(ほぼ叫んでいるボリューム)

Y『あちら、です!奥の、イヤホン、コーナー!』(叫び気味)

 

爺『ハイレゾは、どれや?ハイレゾしか、いらん!』(絶叫)

Y『。。。。』

 

 

 

(俺の声も聞こえんのにハイレゾ聞こえるわけないやん)

 

 

 

絶対言ってはいけない。でも思ってしまった。

 

ハイレゾってもはやモスキート音ちゃんと聞こえる私でも聞き分け??

みたいな感じなのに、彼には絶対無理だからだ。

 

だって、メガネかけないと2メートル前にあるラーメンが、

塩か味噌かもわからない私が、メガネなしで4Kを見る意味なんて絶対にない。

 

 

 

 

 

いかがだろうか。

 

 

こんな具合なので、ハイレゾに興味はなかったのだが、

今回購入したイヤホンが対応しているならそれに越したことはない。

 

きいてみて、確かに音の粒が一個一個尖っている(感じがする)

いわば、雨の音の中に木材の上に落ちる雨粒の音とわかる繊細さがあるというか、、

まあなんせ、かつて持っていた23,000円もするイヤホンよりも確実に粒がある感じである。

 

こんなことを色々考えながら、いろんなジャンルで新しいイヤホンで音楽を聴き比べるのは楽しい。

最近はTechno,Hiphopが好きなので特にイヤホンを変えると

今までと違う音源みたいでその曲の印象が変わって感じる。

 

こんな電子楽器はこんな高い音が目立つんや、とか、ラップはここで息してたんやな、とか。

口の動きまで想像できるような細かさが伝わってきた。

 

もうこんなことをしていると楽しくてしょうがないし、

このイヤホン本当に最高である。愛着が湧きすぎてもうこれしか使えねえ!

ぐらい高まってくるのである。もはや、買い物がうまくいった時点でかなり嬉しかったのだから。

 

 

 

 

 

さあこんな最高のイヤホンを手に入れたのだからでかけるぜ!

もちろんこいつで音楽をききながら!

 

 

 

 

そう思ってかなりあったかくなってきた午後にいつもより

薄めのジャケットに袖を通す瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにかがぽろっと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ララランドのくだらなさ以上に腹が立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、ごきげんよう

 

次回は、社団法人 日本銭湯文化協会について

銭湯を歴史の観点から追いかける。

(T)鈴木のたっちゃん2

彼に連絡を取ってみよう。

 

こっちにある情報は卒業アルバムの裏にある実家の住所と電話番号だけだ。

試しにfacebookで検索したが、それらしき人物はヒットしなかった。

なにせ日本で2番目に多い名字と、恐ろしくありきたりな名前だ。

少し考えたが、やはり、いきなり電話をかけるしかない、という結論に至った。

 

少し緊張しながら、電話をかけた。

「もしもし」

「もしもし。私、Tと申しまして、○○小学校、△△年度卒業生の年次代表です。

この度、卒業生名簿の更新をしておりまして、お電話させて頂きました」

「はあ、」

「××さん(たっちゃん)のお母さまでいらっしゃいますか?」

「そうですが、

 ××はもう家を出て独立しております」

「そうですか、、

 新しい連絡先をしりたいのですが、、、」

母親は明らかにこちらを不信に思っている様子だった。

「そうだ、一度××君に連絡を取って頂いて、私の名前を伝えてください。

 おそらく彼は僕のことを覚えていると思います。

 そうして、彼から直接私の方に、新しい連絡先を折り返して頂ければ幸いなのですが、、」

「それでしたら、、」

そこで僕はすかさず礼を言って、再度名乗り、電話番号を伝えた。

お母さまはご苦労様です、と言って電話は終わった。

最後は何とか信じてくれたようだった。

 

しかし、たっちゃんからの折り返しはなかった。

最初の数日は期待して、意識していたが、そのあとは自分でも

たっちゃんの一件を忘れ、のんびり無職実家ライフを過ごしていた。

人生で一番ゆったりとまではいかないが、ちゃんと物事がわかるようになってから

こんなに長い期間、何も考えなくていい機会があるのは初めてで、

最初は自分でも何をすればいいのかよくわからなかった。

丁度、60歳まで務めた会社員が定年退職して、何をしていいかわからず、

手持無沙汰になるのと同じかもしれない。

年老いた妻に鬱陶しがられないだけ、僕の方がマシなはずだ。

 

そのうち、そんな生活に慣れだすと、天気が良くて風も穏やかだったら、

ゆっくり散歩をし、

天気が芳しくない日は、あらかじめ図書館かブックオフ仕入れておいた小説を

何冊か読んだ。

時々祖母と、亡くなった祖父の話をして昔を懐かしんだり、

隣に住んでいる姪と庭で泥遊びをしたりと、

25歳の青年にしては、かなり落ち着いて、時間の流れが緩やかな毎日を過ごしていた。

 

 

 

そして、その電話は本当に突然かかってきた。

たまたま、高校時代の友人を訪ねに、名古屋に来ている所だった。

(退職してから遠くに出かけることなんてほんとに珍しくて、1カ月に1回程度の珍しいイベントだった)。

 

それは本当に突然で、電話に出た時点でも、たっちゃんの事なんて、

すっかり忘れていた。

「はい、もしもし」

「もしもし、××だけど、」

ここで1秒くらい間があった。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

たっちゃんはなぜ金玉が3つだと確信していたのか?

他の人たちはなぜ金玉が2つだと確信していたのか?

(Y) パキラの剪定と挿し木

 

ご機嫌よう諸君。

 

Yである。

 

本日は私が多忙を極めるなかようやく手をつけることができた儀式を紹介する。

 

*1

 

方法はGoogle先生がよくよくご存知ゆえ個々でお聞き頂きたい。

 

私は今回、冬には難しいと言われるその剪定と挿し木を実際行った報告のみをさせて頂く。

 

まずはこちら

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伸び放題の私の残念な観葉植物である。

日光に当てると葉が日焼け。

当てないと茎が間延び。

そんなジレンマが刻み込まれた不可解な姿としてしまったことに観葉植物の神にお叱りを受けましょうことは百も承知。

しかし、このパキラ圧倒的生命力で、

 

幹から切っても芽がでる!

 

そして

 

切った先っちょは植えて増やせる!

 

というのである。

閃くやいなや、私はホームセンターにいた。

 

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新しい鉢植え

バーミキュライト

スコップ

 

上記3点にテキトーなよく切れるハサミを用意。

まずは土を準備。

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どさーっと2/3ぐらいぶち込む。

 

さあ、剪定だ。

長年育てた(半年)パキラを切り刻むのには正直傷心した。きっと子を叱る親もこんな風に...

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今回は思い切ってだいぶ短くする。

写真の中央より少し左、茎が折れ曲り太くなったその上を切る。

成長点を残すのがルールなのでベストな位置。

 

ズサッ。ブスッ

 

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はい、挿し木も完了。

切り口は斜めに。

デカすぎる葉っぱは半分にカットして水分蒸発を防ぐんだとか。

 

はい、そんなこんなでスッキリした先代。

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少し背が低くなった!

うまくいけばドンドン小さく、形良くしたいところだ!

 

では、新入りは?

 

はいどーん

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な、なんとLEDの独り占め!

パキラはLEDでも育つとのこと!

なので日光とともにガンガン光合成をしてもらおう!

 

以上。

 

後は結果を乞うご期待!

 

次週は私の大好きな銭湯の構造について紹介だ!

 

では!

 

*1:剪定と挿し木

(T)地球にとっての日本とヒトにとっての耳

(※鈴木のたっちゃん2は長くなるので再来週に持ち越します。)

 

この話に結論とか誰かに対しての意見とかはない。

特定の国・民族を否定するつもりも一切ない。

ただ最近思ったことをメモしとくだけだ。

 

日本の形は明らかにおかしいと思う。

世界地図を見てみると、1つだけ異形だ。

日本だけそっくりなかった方が地球の形は、なんというか、、

 

スムーズだ。

 

日本は全体の形が複雑でいびつだ。少し度を超えている。

特に気になるのが本州と九州が四国を囲んでる辺り。

なぜ囲むのか、と問いたくなる。

 

 

百歩譲って、いびつな形の存在をとりあえず無視して受け入れるとしよう。

次に思うのが、

 

日本の領土にこれ以上過不足があってはならない。

 

という事だ。

北海道の形と配置は100点と言っていいだろう。

北海道がなかったときの日本のバランスの悪さはまるで高さの異なる靴を無理やり履かされているように不愉快だ。

 

蝦夷の開拓はいろんな利害関係が複雑に絡み合った結果だと思うが、日本のフォルムだけに絞って言えば、とてもよかったと思う。

 

逆に樺太はいらない。とてもいらない。

あったら非常にアグリーだ。

 

北方四島と沖縄・八重山諸島はどうだろう。

個人的にはあった方がよいと思う。

フランス料理のデザートのケーキのまわりにいちごのソースがぽつぽつ垂らされているみたいでかわいい。

人によってはあってもなくてもどちらでもいいかもしれない。

 

というわけで、現在の日本の領土はかなりイイカンジだ。

完成された芸術作品みたいなもので、これ以上、追加したり消したりすると、すぐに価値がなくなってしまいそうなので、他国はいろいろ難癖つけないでほしいし、日本も昔のように無理に侵略とかはしないでほしい。

 

日本のいびつさの話戻ると、

地球にとっての日本の形のいびつさは

ヒトにとっての耳の形のいびつさによく似ていると思う。

 

音を効率よく集めるためだったらもっとシンプルな曲線で良かったはずだ。

自分の耳を少し触って見てほしい。

穴付近に突き出ている軟骨は、まあ、穴に異物が入ってくるのを防いでいそうなので許そう。

だが、丘みたいなやつや、ヒダ、そして耳たぶ。

これは必要ないだろう。掃除もしづらい。

 

 

 

自分でも思うが、なかなか不毛な記事である。

 

 

仕事がなくて暇だとこういうことを考えるのだ。

 

 

 

(Y) 強いものしりとり

ごきげんよう、Yである。

 

今回は数少ない閲覧者の皆様に私の発明したゲームを紹介する。

 

”強いものしりとり” である。

 

このゲームはアホな私が開発した世界初のゲームだ。

Googleで検索して出てこないものを探す方が難しい昨今、

この”強いものしりとり”は全くヒットしない。

つまり、世界初だ。

このゲームはシンプルなルールで遊び心と説得力があれば

誰でもできる。ぜひあなたの大好きな人とやってほしい。

友達、彼女、家族、浮気相手、株主、だれでもいい。

 

本題に入る。ゲームの説明だ。

 

”強いものしりとり”

ルール

①”ん”がついたら負け。

②同じものは2回使えない。

前の人よりも”強いもの”でしりとりを続ける。

やり方

では、やり方の説明に入る。

前の人より強いものを言えばいい。

例)さかな→ナイフ(魚はナイフで切られるとひとたまりもない)

        ナイフ→フリーマーケット(ナイフはフリーマーケットがあると売られてしまう。確実にフリーマーケットの方が強い。)

         フリーマーケット→取り締まり(取り締まられてはフリーマーケットが開催できない。よって強い)

 

こんな感じだ。

 

 

実際に私は、大好きな会社の友人とやってみた。

 するとこのゲームの真髄が見えてきたのだ。

 

略→苛立ち

→チーズケーキ(苛立ちは大抵チーズケーキを口にした瞬間、何処かに行ってしまう)

→キーパー(キーパーはチーズケーキをばくばく3個は食べてしまうだろう。)

→パリピ(せっかくゴールを守ってもパリピの群れは止めることができない。頭がおかしいからだ。)

→ピラニア(そんなパリピはアマゾンに飛び込んで、ピラニアに食われる。)

アマゾン川(アマゾンがないとピラニアはホームレスだ)

→ワイキキビーチ(観光客が選ぶのはアマゾンよりワイキキビーチだ!)

中華人民共和国(ワイキキビーチなんて何億の中国人が爆買いすれば中国のものだ)

→クーデター(クーデターが起こったら中国でもたちまちオワリだ)

→竜巻(クーデターを起こそうにもみんな飛ばされてしまう)

気象予報士(予想されては、竜巻けるものも、竜巻けない)

 

まあ、ここまで読んで面白みを感じない人は早急に読むのをやめるべきだ。

遊び心が足りない。

パンケーキのために2時間列に並んでればいいし、カプチーノを一眼で撮るべきだ。

 

注目すべきやり取りはここだ。

キーパー→パリピ

ここでパリピのミーハーさとかぎゃあぎゃあうるさい感じをディスりつつも、

アマゾン川→ワイキキビーチ

アマゾン川というコアなファンを持つ観光地にワイキキビーチなんてただ名前だけが先行した人気観光地を勝たせてしまっているところだ。

ちなみに私は両方行ったことない。

 

わりと、言ったもんがちなところがこのゲームの真髄であり、負けたと思った瞬間が負けなのだ。

 

決して諦めなければこのゲームは続くし、永遠にそれよりも強い物は見つかり続けるという事だ!

 

このゲームを通して、あなた自身が、あるいはゲームに参加したメンバーが、本当に勝ってほしいと望むものがわかる。

 

強い物がわかるのではなく、強いと信じたいものがわかる。

 

時→希望

 

時を超えて人々は信じ、祈り、希望を持つ。

 

そんなしりとりの最後になれば、それはきっと勝利だ。

 

ゲームを行なった全員の勝利と、お互いを認め合い賞賛しよう。そして互いの勝利に祝杯をあげるのだ!

 

 

 

 

希望→ウソ

 

 

 

 

 

 

 

では、次回は銭湯の特集(露天に関して)だ。

 

ごきげんよう

 

 

 

 

 

(T)鈴木のたっちゃん

たっちゃんが自分の金玉は3つあると信じていることが発覚したのは小学2年生の授業参観の日だった。

おそらく保健の授業だったのだろう、確証はないが、それ以外授業参観で

”自分の金玉の数を数えてみよう”なんて企画はやらないはずだ。

 

たっちゃんとは、小学校低学年で最も仲のいい友達だったと思う。

フィリピン人ハーフのディグ・ニッコという悪友が転校してきて、

つるみ始めるまでとても仲良くしていた記憶がある。

 

たっちゃんはなよなよしていて、少しのんびりでさらに丸眼鏡をかけていた。

耳かきを絶対しないタイプの人間で(人生で2人で会ったことがある、祖父とたっちゃんだ)耳から時々黄色いのが出てた覚えがある。(祖父の黄色いのは見たことがない)

当時は耳から黄色いのが出ている事なんて全く気にならなかったし、それはたっちゃんも同じだったと思う。

 

たっちゃんの家は学区のはずれの団地だった。

家族も、ザ・団地家族といった感じで、幼心に暖かい雰囲気を感じていた。

 カップラーメンは必ず器に移してから食べるタイプの家族だった。

(このタイプは今のところ僕の人生で彼らの家族しか出会ったことがない) 

 

彼は自分のパソコンを持っていた。

親のお下がりかもしれないが、当時(1999年くらい)小学生がPCを

もってるなんて、いま思うとすごい事だ。

そして同じ学年の人たちが見れるHPを作っていた。

みんなではなせるチャットがあったり、簡単なゲームもあったと思う。

本当にすごい。現代の小学生だとしてもあそこまでできる子はなかなかいないんじゃないか?

それなのに、当時は特にそんなにだれも驚いていなかった。まあ小学生なんてそんなもんだろう。

いまあるかはわからないが、どうしてもそのHPの名前が思い出せない。

中学にたっちゃんがいたかの記憶もない。

同じ小学校なら私立に進まない限り一緒のはずだ。

 その頃になるとたぶん二人は明らかに違うグループに分けらてれいたんだと思う。

僕は活動的で少しやんちゃな事もするグループだった。

そもそもたっちゃんはグループというものに属してすらいなかったかもしれない。

いまになって欲をいえば、活動的なグループに属しながらも、たっちゃんとも

良い関係を築き続けていけるような少年でありたかった。

たっちゃんはとてもいい奴だった。

 

こういう経験は誰しもあるんじゃないか。

辛くて寂しい後悔。どうしようもない。

 

だが、僕は今回はここでちょっとがんばってみようと思う。

 

 

つづく