(T)鈴木のたっちゃん2
彼に連絡を取ってみよう。
こっちにある情報は卒業アルバムの裏にある実家の住所と電話番号だけだ。
試しにfacebookで検索したが、それらしき人物はヒットしなかった。
なにせ日本で2番目に多い名字と、恐ろしくありきたりな名前だ。
少し考えたが、やはり、いきなり電話をかけるしかない、という結論に至った。
少し緊張しながら、電話をかけた。
「もしもし」
「もしもし。私、Tと申しまして、○○小学校、△△年度卒業生の年次代表です。
この度、卒業生名簿の更新をしておりまして、お電話させて頂きました」
「はあ、」
「××さん(たっちゃん)のお母さまでいらっしゃいますか?」
「そうですが、
××はもう家を出て独立しております」
「そうですか、、
新しい連絡先をしりたいのですが、、、」
母親は明らかにこちらを不信に思っている様子だった。
「そうだ、一度××君に連絡を取って頂いて、私の名前を伝えてください。
おそらく彼は僕のことを覚えていると思います。
そうして、彼から直接私の方に、新しい連絡先を折り返して頂ければ幸いなのですが、、」
「それでしたら、、」
そこで僕はすかさず礼を言って、再度名乗り、電話番号を伝えた。
お母さまはご苦労様です、と言って電話は終わった。
最後は何とか信じてくれたようだった。
しかし、たっちゃんからの折り返しはなかった。
最初の数日は期待して、意識していたが、そのあとは自分でも
たっちゃんの一件を忘れ、のんびり無職実家ライフを過ごしていた。
人生で一番ゆったりとまではいかないが、ちゃんと物事がわかるようになってから
こんなに長い期間、何も考えなくていい機会があるのは初めてで、
最初は自分でも何をすればいいのかよくわからなかった。
丁度、60歳まで務めた会社員が定年退職して、何をしていいかわからず、
手持無沙汰になるのと同じかもしれない。
年老いた妻に鬱陶しがられないだけ、僕の方がマシなはずだ。
そのうち、そんな生活に慣れだすと、天気が良くて風も穏やかだったら、
ゆっくり散歩をし、
天気が芳しくない日は、あらかじめ図書館かブックオフで仕入れておいた小説を
何冊か読んだ。
時々祖母と、亡くなった祖父の話をして昔を懐かしんだり、
隣に住んでいる姪と庭で泥遊びをしたりと、
25歳の青年にしては、かなり落ち着いて、時間の流れが緩やかな毎日を過ごしていた。
そして、その電話は本当に突然かかってきた。
たまたま、高校時代の友人を訪ねに、名古屋に来ている所だった。
(退職してから遠くに出かけることなんてほんとに珍しくて、1カ月に1回程度の珍しいイベントだった)。
それは本当に突然で、電話に出た時点でも、たっちゃんの事なんて、
すっかり忘れていた。
「はい、もしもし」
「もしもし、××だけど、」
ここで1秒くらい間があった。
つづく
たっちゃんはなぜ金玉が3つだと確信していたのか?
他の人たちはなぜ金玉が2つだと確信していたのか?
(Y) パキラの剪定と挿し木
ご機嫌よう諸君。
Yである。
本日は私が多忙を極めるなかようやく手をつけることができた儀式を紹介する。
方法はGoogle先生がよくよくご存知ゆえ個々でお聞き頂きたい。
私は今回、冬には難しいと言われるその剪定と挿し木を実際行った報告のみをさせて頂く。
まずはこちら
伸び放題の私の残念な観葉植物である。
日光に当てると葉が日焼け。
当てないと茎が間延び。
そんなジレンマが刻み込まれた不可解な姿としてしまったことに観葉植物の神にお叱りを受けましょうことは百も承知。
しかし、このパキラ圧倒的生命力で、
幹から切っても芽がでる!
そして
切った先っちょは植えて増やせる!
というのである。
閃くやいなや、私はホームセンターにいた。
新しい鉢植え
スコップ
上記3点にテキトーなよく切れるハサミを用意。
まずは土を準備。
どさーっと2/3ぐらいぶち込む。
さあ、剪定だ。
長年育てた(半年)パキラを切り刻むのには正直傷心した。きっと子を叱る親もこんな風に...
今回は思い切ってだいぶ短くする。
写真の中央より少し左、茎が折れ曲り太くなったその上を切る。
成長点を残すのがルールなのでベストな位置。
ズサッ。ブスッ
はい、挿し木も完了。
切り口は斜めに。
デカすぎる葉っぱは半分にカットして水分蒸発を防ぐんだとか。
はい、そんなこんなでスッキリした先代。
少し背が低くなった!
うまくいけばドンドン小さく、形良くしたいところだ!
では、新入りは?
はいどーん
な、なんとLEDの独り占め!
パキラはLEDでも育つとのこと!
なので日光とともにガンガン光合成をしてもらおう!
以上。
後は結果を乞うご期待!
次週は私の大好きな銭湯の構造について紹介だ!
では!
*1:剪定と挿し木
(T)地球にとっての日本とヒトにとっての耳
(※鈴木のたっちゃん2は長くなるので再来週に持ち越します。)
この話に結論とか誰かに対しての意見とかはない。
特定の国・民族を否定するつもりも一切ない。
ただ最近思ったことをメモしとくだけだ。
日本の形は明らかにおかしいと思う。
世界地図を見てみると、1つだけ異形だ。
日本だけそっくりなかった方が地球の形は、なんというか、、
スムーズだ。
日本は全体の形が複雑でいびつだ。少し度を超えている。
特に気になるのが本州と九州が四国を囲んでる辺り。
なぜ囲むのか、と問いたくなる。
百歩譲って、いびつな形の存在をとりあえず無視して受け入れるとしよう。
次に思うのが、
日本の領土にこれ以上過不足があってはならない。
という事だ。
北海道の形と配置は100点と言っていいだろう。
北海道がなかったときの日本のバランスの悪さはまるで高さの異なる靴を無理やり履かされているように不愉快だ。
蝦夷の開拓はいろんな利害関係が複雑に絡み合った結果だと思うが、日本のフォルムだけに絞って言えば、とてもよかったと思う。
逆に樺太はいらない。とてもいらない。
あったら非常にアグリーだ。
個人的にはあった方がよいと思う。
フランス料理のデザートのケーキのまわりにいちごのソースがぽつぽつ垂らされているみたいでかわいい。
人によってはあってもなくてもどちらでもいいかもしれない。
というわけで、現在の日本の領土はかなりイイカンジだ。
完成された芸術作品みたいなもので、これ以上、追加したり消したりすると、すぐに価値がなくなってしまいそうなので、他国はいろいろ難癖つけないでほしいし、日本も昔のように無理に侵略とかはしないでほしい。
日本のいびつさの話戻ると、
地球にとっての日本の形のいびつさは
ヒトにとっての耳の形のいびつさによく似ていると思う。
音を効率よく集めるためだったらもっとシンプルな曲線で良かったはずだ。
自分の耳を少し触って見てほしい。
穴付近に突き出ている軟骨は、まあ、穴に異物が入ってくるのを防いでいそうなので許そう。
だが、丘みたいなやつや、ヒダ、そして耳たぶ。
これは必要ないだろう。掃除もしづらい。
自分でも思うが、なかなか不毛な記事である。
仕事がなくて暇だとこういうことを考えるのだ。
(Y) 強いものしりとり
ごきげんよう、Yである。
今回は数少ない閲覧者の皆様に私の発明したゲームを紹介する。
”強いものしりとり” である。
このゲームはアホな私が開発した世界初のゲームだ。
Googleで検索して出てこないものを探す方が難しい昨今、
この”強いものしりとり”は全くヒットしない。
つまり、世界初だ。
このゲームはシンプルなルールで遊び心と説得力があれば
誰でもできる。ぜひあなたの大好きな人とやってほしい。
友達、彼女、家族、浮気相手、株主、だれでもいい。
本題に入る。ゲームの説明だ。
”強いものしりとり”
ルール
①”ん”がついたら負け。
②同じものは2回使えない。
③前の人よりも”強いもの”でしりとりを続ける。
やり方
では、やり方の説明に入る。
前の人より強いものを言えばいい。
例)さかな→ナイフ(魚はナイフで切られるとひとたまりもない)
ナイフ→フリーマーケット(ナイフはフリーマーケットがあると売られてしまう。確実にフリーマーケットの方が強い。)
フリーマーケット→取り締まり(取り締まられてはフリーマーケットが開催できない。よって強い)
こんな感じだ。
実際に私は、大好きな会社の友人とやってみた。
するとこのゲームの真髄が見えてきたのだ。
略→苛立ち
→チーズケーキ(苛立ちは大抵チーズケーキを口にした瞬間、何処かに行ってしまう)
→キーパー(キーパーはチーズケーキをばくばく3個は食べてしまうだろう。)
→パリピ(せっかくゴールを守ってもパリピの群れは止めることができない。頭がおかしいからだ。)
→ピラニア(そんなパリピはアマゾンに飛び込んで、ピラニアに食われる。)
→ワイキキビーチ(観光客が選ぶのはアマゾンよりワイキキビーチだ!)
→中華人民共和国(ワイキキビーチなんて何億の中国人が爆買いすれば中国のものだ)
→クーデター(クーデターが起こったら中国でもたちまちオワリだ)
→竜巻(クーデターを起こそうにもみんな飛ばされてしまう)
→気象予報士(予想されては、竜巻けるものも、竜巻けない)
まあ、ここまで読んで面白みを感じない人は早急に読むのをやめるべきだ。
遊び心が足りない。
パンケーキのために2時間列に並んでればいいし、カプチーノを一眼で撮るべきだ。
注目すべきやり取りはここだ。
キーパー→パリピ
ここでパリピのミーハーさとかぎゃあぎゃあうるさい感じをディスりつつも、
アマゾン川→ワイキキビーチ
アマゾン川というコアなファンを持つ観光地にワイキキビーチなんてただ名前だけが先行した人気観光地を勝たせてしまっているところだ。
ちなみに私は両方行ったことない。
わりと、言ったもんがちなところがこのゲームの真髄であり、負けたと思った瞬間が負けなのだ。
決して諦めなければこのゲームは続くし、永遠にそれよりも強い物は見つかり続けるという事だ!
このゲームを通して、あなた自身が、あるいはゲームに参加したメンバーが、本当に勝ってほしいと望むものがわかる。
強い物がわかるのではなく、強いと信じたいものがわかる。
時→希望
時を超えて人々は信じ、祈り、希望を持つ。
そんなしりとりの最後になれば、それはきっと勝利だ。
ゲームを行なった全員の勝利と、お互いを認め合い賞賛しよう。そして互いの勝利に祝杯をあげるのだ!
希望→ウソ
では、次回は銭湯の特集(露天に関して)だ。
(T)鈴木のたっちゃん
たっちゃんが自分の金玉は3つあると信じていることが発覚したのは小学2年生の授業参観の日だった。
おそらく保健の授業だったのだろう、確証はないが、それ以外授業参観で
”自分の金玉の数を数えてみよう”なんて企画はやらないはずだ。
たっちゃんとは、小学校低学年で最も仲のいい友達だったと思う。
フィリピン人ハーフのディグ・ニッコという悪友が転校してきて、
つるみ始めるまでとても仲良くしていた記憶がある。
たっちゃんはなよなよしていて、少しのんびりでさらに丸眼鏡をかけていた。
耳かきを絶対しないタイプの人間で(人生で2人で会ったことがある、祖父とたっちゃんだ)耳から時々黄色いのが出てた覚えがある。(祖父の黄色いのは見たことがない)
当時は耳から黄色いのが出ている事なんて全く気にならなかったし、それはたっちゃんも同じだったと思う。
たっちゃんの家は学区のはずれの団地だった。
家族も、ザ・団地家族といった感じで、幼心に暖かい雰囲気を感じていた。
カップラーメンは必ず器に移してから食べるタイプの家族だった。
(このタイプは今のところ僕の人生で彼らの家族しか出会ったことがない)
彼は自分のパソコンを持っていた。
親のお下がりかもしれないが、当時(1999年くらい)小学生がPCを
もってるなんて、いま思うとすごい事だ。
そして同じ学年の人たちが見れるHPを作っていた。
みんなではなせるチャットがあったり、簡単なゲームもあったと思う。
本当にすごい。現代の小学生だとしてもあそこまでできる子はなかなかいないんじゃないか?
それなのに、当時は特にそんなにだれも驚いていなかった。まあ小学生なんてそんなもんだろう。
いまあるかはわからないが、どうしてもそのHPの名前が思い出せない。
中学にたっちゃんがいたかの記憶もない。
同じ小学校なら私立に進まない限り一緒のはずだ。
その頃になるとたぶん二人は明らかに違うグループに分けらてれいたんだと思う。
僕は活動的で少しやんちゃな事もするグループだった。
そもそもたっちゃんはグループというものに属してすらいなかったかもしれない。
いまになって欲をいえば、活動的なグループに属しながらも、たっちゃんとも
良い関係を築き続けていけるような少年でありたかった。
たっちゃんはとてもいい奴だった。
こういう経験は誰しもあるんじゃないか。
辛くて寂しい後悔。どうしようもない。
だが、僕は今回はここでちょっとがんばってみようと思う。
つづく
(Y)GRというカメラ
もうサラリーマンかどうかなんてなにも関係ないすごいただの趣味の話を始める。
多少攻撃的な発言をお許し願いたい。
一眼レフ買ったけど、デカくて黒いのを首から下げて散々歩いた挙句、とりあえず観光地でシャッターボタン押してにこにこしてる、なーんて勿体無いと私は思う。
私は、一眼レフは、ちゃんと使える様になれば後はセンスだけでどうにでも最高の写真を生み出せるツールだと思っている。
私はかつて、大手家電量販店で2年、カメラをアルバイトで販売した。販売と言えど、ただスペック暗記してこっちの方が綺麗に撮れますよ云々の世界ではない。大手量販店には完全に我々の理解を超えた客が来る。
他社とのレンズのコーティングの質の違いは?
ー分かるわけない。
レンズのフォーカスの駆動方式の他社互換と、スペックへの影響は?
ーもはや他社製品のこと。
カワセミ狙うんやけども連写7コマ/秒で追えるかな?
ーぴーぴー!チュンチュンチュン!
この様に限りなくプロに近いレベルの完全なアマにパワハラ並みの質問を浴びせられながらも生き抜いた私が感じたのは、初心者への不安である。
赤ちゃん可愛く取りたい。
お花撮りたい。
カプチーノ撮りたい。
なーんて人が沢山来るし、使い方を聞いて、実演したら素直に買ってくれる。
しかし、売り場で説明できる事なんてたかが10分20分、あの無数に謎のボタンがついた黒光りのマシンを使いこなすには程遠い。結局、上手く撮れないから使わなくなるってことが、1番の心配であった訳である。
そんな私も一眼レフのユーザーであり、時々投稿にも利用している。
一眼レフは使い方さえ覚えれば、最強のツールだ。
だがら私はハイアマチュアを目指さなくても、とりあえず自分が思った写真を撮れる。ってレベルまでには突き詰めてほしい。使い方をトレーニングしてほしい!と思うのである。
それまでに飽きてしまうのは勿体無い。
しかし、こんなに熱く語ったのに。
そんな一眼レフを先日売却してやった。
理由は単純明快、デカイから。
ポケットに入らないものは基本、デカイ。
まあ日本人の8割の家庭はこれ持ってるのでは?と思っている。
これはレンズ付きで5万ぐらいで手に入れてから三、四年使っていた。
お写真ちゃんはこちら
ほら、"感"が出てる。
こんなもんテキトーにシャッターボタン押しただけ。
でもカメラが賢すぎて一眼レフ感が容易に出ている。
(F1.8の単焦点使ったことは秘密、F値がどうとかいう知識があるのも秘密。)
スマホでは絶対これは撮れない。
これにも理由がある。センサーである。
センサーはフィルムカメラで言うところのフイルムの部分。
センサーが大きいほど、情報が取り込みやすい。光がたくさん入ってきて、正確なお写真ちゃんが出来上がる。
スマホはその大きさ故に、センサーは黒ごまぐらいの奴しか載せられない。
しかし一眼レフでは切手ぐらいのやつがのっている。
これこそが写真に違いを生むのであり、一眼レフがデカイ理由だ。
ただし、この写真のためにこのデカイ一眼レフをいつも持ち歩くのは気が引ける。じゃあスマホでいいや、を大衆が下した結果が故の現在のカメラ業界の状況だろう。
センサーがデカけりゃいい写真が撮れる。
じゃあ"デカイ"センサーをちっこいカメラになんとか詰め込めないのか?
そう思わないだろうか?
それを実行したのがRICOHだ。
RICOH GR
こいつはiphone6+ぐらいのデカさで厚みはタバコの箱ぐらい。
(かなりいい加減)
中身は一眼レフとほぼ同じだ。
勿論撮れる写真も同じ。じゃん。
この色調はスマホでは出ないし、木の枝の一本一本の潰れもない。そして影の部分の圧倒的な漆黒はまさに光の情報をうまく捉えた結果だ。
この写真はポケットに入るこのGRによって取られている。
特筆すべきはこのモノクロ写真のクオリティ。
ハイコントラストモノクロのエフェクトモードではこんな写真鼻くそをほじりながら撮れる。
(こう撮るための知識があったのは秘密。)
確かに、このカメラは、ズームができない、フォーカスが遅い、など多少の制限はある。
しかしそれを忘れさせるほど得られる写真のクオリティは高く、カメラのサイズは小さい。
私はこの実に合理的なマシンこそがカメラのあるべき姿であると思う。
しかも、USB充電ができるなんて、さあ、私を旅に連れてって。てなもん。
というわけで、こんかいは素敵なカメラの紹介だった。
一眼レフの魅力はゼロか?と言われるとそうではないので、ここで簡単な比較をしておく。
一眼レフ
◎フォーカス早い、正確。
◎素早いズーム。
◎バッテリー長持ち。
◎ファインダー覗いて集中できる。
◎動きが早いものもなんのその。
◎レンズ交換でまるで違った写真が撮れる。
✖️とにかく、デカイ重い。
GR
◎とにかく小さい、軽い
◎写真は一眼レベル
◎いいレンズ付き。
✖️ズーム不可→逆に写真には一貫性が出る。
✖️速いものは追えない。
✖️フォーカスが遅い
✖️操作に慣れた時に感じる直感性のなさ
以上、こんな感じである。
なぜか、一眼の方が良いところが多くなってしまった、、、
そう、これらの項目を見た上で決めて貰えば良い。マイカメラを!
少しでも参考になれば幸いだ。
では、次回は銭湯について書くとしよう!
さらば。
(T)最近読んだ本
会社をやめた僕は、4月から再度大学に行く。
その受験の際に科目に小論文があったので、参考書を購入し、いくつか頻出課題を
あらかじめ練習して臨んだ。
(幸い合格する事は出来たが、練習した課題は出なかった)。
折角文章を書いたので、少しここでも紹介してみようと思う。
(新たにブログ用になにかネタを考えるのも面倒くさいというのもある)。
「最近読んだ本」
出向先の大分でよく通った古書店でいつものように自分を肯定してくれそうな本を
探していると、あるタイトルが目に入った。
中身をパラパラめくってみると絵本のようにかもめの写真が散りばめられている、
長編を読むのに疲れていた私はすぐにその本をレジへと持って行った。
ジョナサンという名のかもめは、群れの他のかもめとは少し異なっていて、
食べることよりも、いかに美しく飛ぶかしか頭になく、その強いこだわりが原因で
群れを永久追放されてしまう。
飛行というのはこんなに素晴らしいのに、なぜ他のかもめは自分の考えを理解してくれないのかが理解できないまま、一匹でひたすら美しく飛ぶことだけを考えて、
次第に老いていく。
ある日、自分のように美しく飛ぶことのできるかもめに初めて出会い、ついていくと、そこは飛行技術を大切にするかもめ達の集まった別の世界があった。
その世界でもさらにレベルの高い飛行技術を学び、極めたジョナサンは「もっと他人を愛するように」と長老から教えを受ける。
その言葉を彼なりに解釈し、昔いた群れに戻り、飛行の素晴らしさを広げていく。
私は今まで4半世紀生きてきて、”他人を変えることは出来ない。自分の思い通りにはならない。”と他人に対してある種の諦観を抱きはじめていた。
ジョナサンは、はじめは仲間のために仲間を変えようと躍起になっていたが、その後は自分一人のために自分を変えていった。
その姿を見て、自分も同じように変わろうと思うものが現れはじめた。
誰かを手本にして、”自分のために自分を変える”という考えが大勢に浸透したのを遠くから眺めると、誰かが多くの人を変えた風に見えるだけなんだ、と気づいた時、私の考えも大きく変わったように思う。
他人を思いやる前に、自分を大切にすることが何よりも初めの一歩だと悟った。
この本は自分を肯定してくれなどしなかった。
代わりに私の凝り固まった悲観的な考えを否定し、新しく強い考え方を植え付けてくれた。
そのことをヒトからではなくかわいらしいかもめさんから教えてもらったのだった。