丁字路

サラリーマンYと脱サラリーマンTが書くブログ

丁字路

―別々の道を選んだ2人の記録―

(Y)パンについて考えろ

御機嫌よう、諸君。

 

Yである。

 

統計によると日本人の8割は朝にパンを食べるらしい。統計、とは基本的に私がおかんから聞いただけの事を指すので深く議論する気は無い。パンを多くの人が朝に食う。事実だ。

一流のサラリーマンの卵になるかならないかもわからないただの会社勤め2年目として意見すると、朝食は大事だ。

なぜか。それがルーティンをつくるからだ。毎朝同じ事をすれば心が整う。ルーティンは私を落ち着かせ、その日闘うHEARTを作り上げる。私は朝起きると必ずCOFFEEをDRIPして、パンを食す。たまに時間がなくて、買っておいたお団子の時もあるがパンを語るにあたり不都合な上、あんまりバレて無いので秘密にしている。

 

パンとCOFFEEはまるでTAKAHIROとATSUSHIだ。一方が欠けることはあってはならない。2人が生み出すハーモニーこそ朝食であり、完璧なルーティン、そう、EXILEなのだ。周りの踊りの奴はお皿とか爪楊枝だ、いてもいなくてもいい。私は何があっても絶対朝にCOFFEEを飲むのだが、私は缶コーヒーと書いて"じゃどう"と読む癖があるのでDRIPしたもの以外をCOFFEEとは呼ばないことに注意して欲しい。

そんなこだわりがあるなら、じゃあCOFFEEについて書け?

 

甘い。甘すぎる。

まだ諸君は知るに値しない。

まるでベトナムコーヒーに角砂糖を2個入れたような甘ちゃんだ。

 

よってまずは、パン。ATSUSHIの前にTAKAHIROだ。ATSUSHIはソロデビューしソロアルバムをリリースしても良いがTAKAHIROはダメなそれと同じだ。

まず第一、パンについて、真剣に考えているのはきっと"チーム未完成"のお二人しか居ない。少なくとも日本では23年間生きたのにこのお二人にしか出会って居ない。"チーム未完成"は世界を股にかけて活躍するアーティストで神保町の古本祭り併催のアート横丁でお会いした。ちなみにその日はCOFFEE祭りも併催と後から聞いて、イタリアンローストのような苦い気持ちを味わった。

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これはその御二方が世界を股にかけ出版されている、"パン" (フルカラー写真集,¥800)である。多分発行数はそれほど多くなくわざわざ買うものでもないため、持っている方は非常に少ない極めてレアな写真集だ。コラムも付いている。私はこれを購入、熟読し、パンへの理解が如何に不足して居たか思い知らされた。気になった人は検索をお勧めする。より多くの人がパンについて考える機会を得る事を望むからである。

 

そして第二に、私は、パンについて、パンを食すことについて真剣に考えた、そして試行錯誤を繰り返した。そして一つの解を導き出した。

お聞きする。

みなさんはどうだろうか。

 

パンを何で調理する?

 

この問いへの返答は極簡単なものだ。

8割の人間はこう答える。

 

ああ、トースターで焼いているぜ。

 

決して間違いでは無い。確かにトースターはその名が示すとおり、パン(又の名をトースト)をトースティングするためのトースターであり、トーストをトースト足らしめるためにトースティングする以上でも以下でも無い。

 

しかし、思考を停止してはならない。トーストをトースティングし、トースト足らしめるのがトースターであれば、

 

 

 

フライパンはどうなんだ。

 

 

 

これに回答できる人間はいるだろうか。私は2割しか居ないと思う。残り8割の諸君に私から一つ、思考の提案をする。

先ほどの思考を応用して考えてみよう。

 

トースターはトーストをトースティングするならば、フライパンは、パンをフライし、パン足らしめるのでは無いか??

つまり、

1,パンがトーストである。

2,トースターはトースティングする。

3,フライパンはフライする。

以上3つの原理から、フライパンでもパンは調理可能だという理論が成り立つではないか。

これに関して。

常に物理は、原理に基づく。ある現象を考えるときに法則によってその現象を証明するが、最後に証明を裏付けるのが原理なのだ。

例を挙げると原理とは、例えばりんごが木から落ちる事を指す。つまり、重力である。重力は全てのものを下に落とす。例外はない。これが原理だ。

この原理を用いて、水平な公園のシーソーの真ん中から左の位置にりんごを乗せたら左が下に落ちる。という事は説明できる。

今回のパン、トースター、フライパンの件も三つの原理に基づいた証明が出来た。ここで大学の知識が生きるとは思いもしなかった。

この時のために親は学費650万以上をつぎ込み私を大学に進学させてくれたのか。私は大学に行けて本当に良かった。

そして、親に感謝しても仕切れないので普通に謝罪したい。

 

 

くじけずに、私は本日その理論を元に実証を行なった。

 

 

そう、パンをフライパンで調理したのだ。

 

 

まずはフライパンをコンロにかけ、プラスチックのチャチなツマミを一気に回し切った。

 

 

 

 

強火だ。

 

 

 

 

室内温度10℃以下のキッチン。フライパンの上に陽炎が立つ。じわじわと私にも伝わる熱気にたじろぎながらも私は袋から6枚に下ろされたパン、そう、トーストでありブレッドであるそいつを一枚丁寧に取り出す。そいつはクシャリという小さな音を立て恥ずかしそうに身をよじるナイロン製の袋を擦り開け、微かな粉塵とともに圧倒的緊張感のステンライススティールの銀世界、キッチンに躍り出た。

私は全く容赦しなかった。躍り出たパンの2辺をすっくと掴んだまま、灼熱に仕立て上げられた鉄製円盤縁付き板の上に誘う事に迷いなく、時間にして2秒はかからないうちに、真夏の晴天に長時間照らされた14時過ぎのプールサイドの漆黒の鉄製溝蓋の上とも言えるその場所へと寝そべらせたのだ。

そして時は止まった。

陽炎はパンを躱すように4辺から立ち上り鉄製板の滑らかに立ち上がっていく縁を舐めながら踊る。パンはその熱を、熱に踊る妖怪を諸共せずに鉄製板の中心に大の字になってくたばっている。

私はこの時、フライパンの上で起こる出来事に集中した。訪れた時間の静止。静寂の中に僅かな変化の兆しを捉えようとする私からは、高まる鼓動を抑えるためのブレーキはとうに外れてその辺に転がっている。集合住宅において最も悪質とされる行為でもあるにも関わらず、私が我慢しきれず奇声を発するまさにその5秒前.....

 

 

 

 

シュツ、シュトゥルム、シュツ

 

 

 

一瞬で私の五感は一つを除き全て停止した。

聴覚のみが500%の力を発揮しその変化を、音の波動として受け取ったのだ。

 

 

 

 

.....パンが、焼けた。

 

 

 

 

私はパンを焼くために、パンが焼かれる時間のために23年間で1,2を争う思考をした事を秘密にしたい欲求に駆られた事は事実であると述べる一方、誰かがやらなければならないという使命感にも苛まれた事をここに記す。

 

そして私はためらう事なく、投入時と同様そっと2辺を掴み上げ、裏表を返した。

 

袋から出した時は真っ白なアザラシの赤ちゃんの頬の肌見たく様子していたパンが、中心から四辺のミミに向かって円形に力強い焼畑農業を繰り広げていた。

私はそのあまりにも美しい放射状の模様に絶句し、見惚れ、酔った。もちろん裏面も調理したのだが酔いすぎて記憶がほぼない。

 

私は急いで出来上がったパンにバターを塗り付け、安物の紙ケースに封入されている賞味期限の僅かに切れたブルーベリージャムをまき散らした。

 

そしてフライパン投入時、裏表反転操作時同様、2辺をすっくと掴み上げて口に誘った。

 

カリッと始まる食感のIntro。二本あるうちの左側一本は、まるまるセラミックの差し歯である私の前歯でも感じる乾いた感触、硬すぎないが十二分にキレがあるパンの小麦の中の炭水化物の原子間の分割感。

 

この時私は踏み込んではいけない所に踏み込んでしまった事に気付いたが、完全に遅かった。

 

Intro に引きずられるように訪れるchorus。モッチリしたパンの内面層の柔らかさが口内の甘みを受け取る感覚器官に絶頂をもたらす。マーガリンの甘さでも賞味期限切れブルーベリージャムのそれでもない、パンの柔和さがもたらす甘み。まるで官能小説を初めて読んだ時のようなあまり刺激の強さに、かといって柔らかな田舎の旅館の若女将の様なその優しさに、私は白目を向かざるを得なかった。

 

その後もパンは一切手を緩めなかった。耐え難い、感覚への総攻撃が続いた。

 

カリッと始まり、モチッとフワッとモチャモチャと。

 

白目のまま、一気に1枚の食パンを食べ終えていた。

 

私はキッチンの使い古したマットの上に膝から崩れ落ちこう呟いた。

 

 

 

 

フライパンで...ウマイパン...

 

 

 

全然おもしろくない。

 

その後 私は1時間経たないうちにオーブントースターを粗大ゴミにぶち込んだ。

 

要は、フライパンだ。

 

フライパンの方が、パンが美味しく焼けるのだ!

 

ここまで読んだ皆さんが既にオーブントースターのコンセントをぶち抜いている事の想像は容易だ。しかし、それは早すぎる。あまりにも軽率、かつ危険だ。

 

まずは、自ら試して欲しい。

トースターで焼いたもの、フライパンで焼いたものを比べて食べてみて欲しい。

順番にだ。私の様にしてはならない。

私は鍛えられたSOLDIERなので白目を剥くだけで耐えられた。諸君は違う。

まだまだBABYだ。プールにもまずは心臓に水をちょぽちょぽかけてから入らなければならない。

少しづつ、試して欲しい。

トースターを捨てるのは、それからでも遅くはない。

そして、この実験からわかった新たな事実を何故自分はこれまで発見出来なかったかを考えて欲しい。パンを食べながら。

 

 

 

それは、皆さんが気を使わなかったからだ。興味を持ちきれなかったからだ。考えなかったのだ。

 

 

 

パンを。

毎日食べている、パンのことを。

 

 

 

今ある世界が普通であると興味を持たない事は危険なのだ。

だから私は今回、紛糾した。

 

 

 

 

 

パンについて考えろ

 

 

 

 

 

 ここまで言い切った私の本日の夢は、オーブントースターメーカーの開発者に黒い鉄板に縛られ、コンロを強火にされる悪夢と確定してしまった。

 

 

 

 

悪夢の中。

 

 

聴覚だけが目覚め出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シュツ、シュトゥルム、シュツ

 

(T) 勘定科目<自分>について

まだ会社に勤めていていて、簿記の資格取得のために勉強していた時に考えた、ちょっとためになりそうな話。

 

ためになる話の前に、

軽く簿記の説明をしなければならない。

ここをちゃんと読まないと重要な部分がわからなくなる。

 

 

簿記には2つ大きな財務諸表(なんかすごい重要な表)がある。
貸借対照表(バランスシート、B/S)と損益計算書(Profit&Loss、P/L)。どちらの表も真ん中に大きな線が縦に引かれていて、記入する欄が左右に分かれる。

B/Sには左側に資産(の増加)を、右側に負債(の増加)を書く。
P/Lは左側に費用(の発生)を、右側に利益(の発生)を書く

ここには"勘定科目"というものをひたすら書いていくんだけど、、
そいつらがそれぞれさっきの資産、負債、費用、利益に分類される。

現金(資産)、土地(資産)、未払金(負債)、光熱費(費用)、広告費(費用)、売上(利益)、受取利息(利益)等々、、、

そしてこいつら勘定科目に何かしらの動きがあったらそれをその都度書いていく。


例えばなんか商品を100円で買ったとしたら、貸借対照表に、

商品(100) / 現金(100)
↑資産の増加 ↑資産の減少

その商品を150円で売ったら

現金(150) / 商品(100)
売上(50)
↑資産増加 ↑資産の減少
        +利益の増加

こんな感じで日々の仕訳(しわけ)がある。
それを年に一回まとめたものがB/SとかP/Lになる。






(貸借対照表)


ざっとこんな感じになる。

サラッと説明したけど、簿記の試験ではこのB/Sを作るの結構めんどい。
なんか決算日になって、金庫からお金(資産)が見つかったり、あとは建物(資産)が火事でなくなったり、なんか無駄に別の会社買収したり、、、
くそめんどい算数を結構短時間でやらないといけなくて、なんか焦るし、はっきり言って二度と勉強したくない。

そんな感じの低めの意識でずっと勉強してたから、無駄ごともたくさん考えてた。


"自分の今のB/Sつくったらどうなんだろ?

資産は預金が150万くらい、、あと有価証券(株とか)が80万円くらい、あとはー、家はないし、土地もない、チャリが5万円くらいの価値かな、、、

うわ、全然資産ないなっ、こんなもんか、、他になんかないかな?"

 


そこで、勘定科目<自分>を思いついた。


給料を貰った時の仕訳は

現金(20万)  /  自分(20万)
↑資産の増加    ↑資産の減少



このように毎月自分が削られてることになる。

自分(資産)の価値はだいたい生涯年収くらいか。



[MY資産]
現金  150万
株   80万
チャリ 5万

自分  3億


おお、自分やばい、文字通り桁外れの資産だ。
これ毎月会社に少しずつ削られていく。
(削られるけど、生きるために現金をくれる、よくできたシステムかも)

ここで思った。
ある程度生涯年収のわかる会社員って"自分"の値段がネットとかに、ゴロゴロしてるし、みんな"自分"が数字で表せるサラリーマンのその安定さを求めて会社員になりたがるのだなと。
就職してなかったり、自営業だったりすると"自分"がいくらか全然わからんしなんとなく不安定だ。大企業だとつぶれにくいから"自分"がより確定的になる。だから大企業に入りたがる。


あと、もう一ついい事思いついた。
株とかで、ちまちま少ない"現金"をコロコロワンワンしてるより3億の"自分"に投資すべきじゃないか?と。

たぶんなんかスキルを得たり、いい給料の会社に転職したりすると
"自分" を増やすこともできるわけだ。

あとは重要だと思ったのは行動のスピード。
"自分"は若いうちの方が基本的に多い、1秒1秒寿命に向かって自動で削られていくと考えていいだろう。
ぼーっとしてゴロゴロワンワン過ごしてたらどんどん"自分"がなくなってく。

 

 

ぼくはいま会社を辞めたので、<自分>

がかなり未知数で不安定だ。

資産を使って、3億円のギャンブルをしているとも考えられる。

怖いけど、がんばる。

 

(Y) Life Is Journey

 

 

旅に憧れたのは中学生の頃、親族で6,7個上の男の人がインドの周遊から帰ってきた時だった

 

 

 

芸術大学を卒業した彼はポケットに財布とパスポートを入れたジーパンにTシャツ、サンダルで日本を出た。

私が行き先を知った時にはもうすでにインドにいた。

そして彼は、私がろくに勝てない弱小田舎中学校でサッカーをしている間に

インドを放浪していた。そして、約一年かそれぐらいで戻ってきた。

袋と楽器を大量に持って兵庫の自宅に戻ってきたとのことだった。

 

彼はその後も行動が早かった。

その楽器を様々なカフェで演奏して周り、地元の中学校の国際交流授業で演奏した。

持ち帰ったスパイスと布、自分の演奏した音楽を使ってカレー屋を経営した。

彼は自由に過ごす。自由に好きなところに住む。でも彼の周りにはいつも面白い友達がいる。

今は結婚して居酒屋を経営している。

 

 

 

私はその生き方や才能に憧れたが一方で絶対にそうなれないとも感じていた。

彼は身長180センチでサッカーでスカウトされた。

ボクシングジムに体験に行けばプロに育てたいとオファーが来た。

地元で開かれた音楽イベントのライブではDJ兼変な楽器の奏者としてトリを務め、

家の壁に絵を描いてくれと頼まれていた。

決して驕らず、敵を作らず、淡々と人生を楽しめる人で、その環境を自分で作ることができる人だった。

 

一方私は体も小さく高校ではサッカーで試合に出たり出なかったりだった。

中学校の合奏コンクールではカスタネットしかできるものがなかった。

絵を描くのは得意だったが絵の具セットを洗うのが面倒であまり色を丁寧に塗らず成績も微妙だった。

よって、特技はない。勉強も得意ではなかった。

 

 

 

そのまま大きくなった私は現在、サラリーマンだ。

23歳、残念ながらインドの旅人とは程遠い。

 

私は何も努力しなかったわけではない。

才能がないなりにもなんとか世界を広げようとしてきた。

アルバイトも色々やったし、そこでいろんな人と会った。

ベトナムカンボジアバックパッカーもしてみた。

スケボー仲間とかボーリング仲間とかフットサル仲間とか

いろんな友達もいた。喋るのが苦手でもがんばった。

いろんなことをやってみて自分の得意なこと、自分の土俵を探してきた。

しかし、敷かれたレールから外れる勇気はなかった。

 

そして、今の仕事にありついている。

私の持つ才能からすれば、今の会社に入ることができたのは正直不思議なことだ。

もしかすると、そういう面は多少うまくやれるのかもしれないとその時は勝手に感じてもいた。

だが私はまだ自分の才能が見つからない。私の魅力を精一杯話したいが残念ながらいまは無理だ。

 

しかし、これだけは確実に私の中に植え付けられている。

才能がなくても、リスクを受け入れる勇気がなくても、旅には出られる。

 

私は少なくともいま、兵庫の田舎を飛び出し東京のジャングルや茨城の変な土地に住んできている。

見たことない景色を何度も見れたし、絶対に自分で住むことを選ばないような土地に住めた。

受動的である点は些か残念だが間違いなくこれは旅だ。と、私は考えている。

この道を選んだことで東京にも友人はできた。地方から出て来た同じようなヤツとも知り合えた。

知り合った奴には地元の街にはいない、いろんな経験を持った凄い奴もいる。

 

これまで憧れていたインドの旅人とはやはり程遠いが、つまりこれが私の旅なのかもしれない。

これから、仕事でもプライベートでも様々な魅力ある人間を発見できるかもしれない。

 

人生の旅を楽しむのに才能はいらないと教えてくれたのは皮肉にも私自身だった。

私が憧れていたインドを放浪した才能に溢れる男の旅も、一つのJourneyの形だ。

私は私の旅をすればいい。形にこだわる必要はないのかもしれない。

これからもし私がレールを外れる力を身につけたなら、そうするだろう。

そしてきっとそれも楽しいに違いない。

 

旅が嫌いな人にもこんな私の思いを少しでもわかって貰いたい思いでいる。

リアルなJourneyを感じられる人生に憧れがない人は、この映画を見てほしい。

 

living is easy with eyes closed

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あなたが思うほど、人生の偶然に身を任せるのも悪くないと教えてくれる。

さっぱりした、ちょうどまた会いたくなるような別れがあるのもいい。

 

そして、逃れたいものがあったとき、思い切って飛び出すことができる人にも、

この映画はその行動力を賞賛し、選択が正しいと後押ししてくれるだろう。

 

良い出会いばかりではないし、居心地が良い所が恋しい気持ちにもなるが、

新たな世界が開けるような偶然ほどおもしろいものはない、

そんな旅がしたいと、より一層思えるようになった。

これからも私は新たな景色を見たい。新たな人の魅力を発見したい。

また、これから起こる出来事に備えて、少しでも自分の才能を見つけよう。

 

私の日曜は朝起きて、腕立て伏せをして、スターバックスに行った。

ブックオフに寄った。それで終わりだった。

銭湯に行けば完璧だったが、寒いからやめた。

普通の1日。そんな日もたまには悪くない。

 

明日からも私のゆっくりとした旅は始まる。

(T) ある無職の月曜日

月曜日は図書館が休みだ。

無職にとって図書館の休みの日はいまだに何をすればいいのかわからない。

 

9:00

電話で目が覚める。

ばあちゃんからで

「今、家を出たがストーブを切り忘れたかもしれないから切っておいてくれる?」

との事。

「おっけー」

と言いながらも、すぐ布団から出れず、二度寝する。

そとはこの冬一番の寒波なのでなかなか起きれない。

85歳より起床はうんと遅い。

 

10:30

やっと覚醒する。

ケータイをみてインスタをチェック、友人にコメントを返し、つらつら他人の投稿を眺める。

 

11:00

朝食を食べにリビングへ。

どうせ消えてるだろうと思っていたストーブがついていたので、消す。

昨日のカレーが余っていたので、温めて食べる。

母親が試しにきゅうりを入れてみたと昨晩言っていたが、

正直なところあってなくてもどっちでもいいというのが本音だ。

やはり寒いのでストーブをつける。

あてもなくテレビをみたり歯を磨いたり、、一応出かける準備をする。

 

13:00

今日は何をしようか考え始める。

見たい映画があったのを思い出して、

やってる劇場を探すが、最寄りではやっていない。

車で30分の所は4DXのみらしく追加料金が

かかるそうで3000円もする。

車で50分の所は月曜日は1100円だそうだ。

考えるが面倒になってきたので、いったん保留にする。

 

14:00

近所のカフェへ車で出かける。

なにか食べようか悩んだが、結局コーヒーのみ頼む。

昨日買った村上春樹の「風の歌を聴け」を読み進める。

読書をしていて印象に残った言葉をノートにメモするようにしている、

今日は

「子供の頃はもっと沢山の飛行機が飛んでいたような気がするね。」

確かに、と思いメモを残した。

いつもメモを書くついでに昔のものを振り返るのが楽しみになっていて、

なんでこんな言葉をメモしたんだろう、と思うものがたくさんある。

 

15:00

やっぱり、50分かけて映画を見に行こうと思い立つ。

コーヒーの勘定を済ませ、ガソリンスタンドへ向かう。

映画は16:15からなので少し急ぐ。

 

16:00

渋滞に巻き込まれている。

おなかが空いたのでなぜか車に置いてあったみかんを食べる。

到着予想時間は16:25。

ここまで来たから見るけど、、、と思いながらも、少しイライラする。

まあ最初の10分は予告だし、と自分をなだめる。

 

16:20

映画館の入っているショッピングモールに到着。

映画館どこだよ、結構彷徨う。

 

16:30

やっと見つけてチケットを購入。

「ただいま予告が終わり上映スタートしましたがよろしいですか?」

「はい」(全然よろしい)

「プレミアム上映のため1300円です」

「あ、はい」

ここらへんでもう急ぐことはやめようと決心してゆっくりトイレに行く。

 

18:30

映画が終わる。

「マッドマックス-怒りのデスロード-」のモノクロエディションを見た。

高尚な感想などなく

「ああ、今の世界って平和だな」

くらいにしか思わなった。

食品売り場でジンジャエールとパンを買って帰る。

特に実家にお金は入れていないので、

とりあえず、家族の食べるパンを買う係になっている。

 

19:00

怒りのデスロードなんて副題の映画を見たから

帰りは爆走したくるかな、なんて思ったけどそんな感情は湧いてこず。

ナビを一般優先にしていたけど、なぜか料金所を通過する。

ETCが壊れている事にたまたま行きに気づいていたので

係のおじさんに160円払う。

 

20:00

高速に乗ったはずなのにしっかり1時間かかって家に着いた。

ごはんを食べて、眠くなったので少し部屋で寝る。

 

22:00

風呂に入る。

iphoneを持ち込んで「ウォーキングデッド」を見るながら入る。

 

23:00

ブログを書きだす。

Yとは週替わりで毎週日曜に更新しようって話だったが1日遅れてしまった。

あまり書くことが思いつかないので、今日の一日を振り返ってみた。

 

結構堕落した一日だったがなぜか罪悪感とか背徳感は感じていない。

なぜ感じなくなったのかは後々書こうと思う。

 

 

 

 

(T) 2017年展望

2017年の展望...

共同編集者のYと話した結果、まずは”2017年の展望”を書こう、という話になった。

 

【展望】・・・

[名](スル)

遠くまで見渡すこと。また、そのながめ。見晴らし。「展望がきく」「屋上から市街を展望する」

社会の動き、人生の行く末などを見渡すこと。見通すこと。見通し。「将来に対する展望がない」

 

とある。”人生の行く末などを見渡すこと。”

僕が会社を辞めたのは展望が見えすぎたからかもしれない。

 

 

僕が配属された部署はちょっと他の一般職とは異なり、

その部署仕様にみっちり3年間研修を受け、将来その道のプロになる事を望まれていた。

 

半年以上の座学の研修が終わり(それはまさに給料のもらえる大学の講義のようだった)、実務研修として職場で働きだした。

向かい合ったデスク机が課長へと続く、アルファベットの「i」みたいなよくある座席レイアウトの真ん中あたりの席を与えられた。

始めの一週間あたりは社会人らしい社会人生活が送れる事に対して、滅茶苦茶わくわくしていた。

 

なぜか早めに出社してブラインドタッチの練習をしていたのを覚えている。

「お前何してんの」と上司に笑われたなあ。

パソコンの画面に

fff fff fff jjj jjj jjj fjf fjf fjf jfj jfj jfj

ddd ddd ddd kkk kkk kkk dkd dkd dkd kdk kdk kdk

sss sss sss lll lll lll sls sls sls lsl lsl lsl

 

みたいなのがひたすら羅列されていたのだから無理はない。

 

その職場で働きだして、少しして、だんだん周りが見えるようになってきた。

自分の左に教育担当の働き盛りのエースの若手社員。

その左が寡黙だが仕事を最高速度でこなす40手前の主任。

その又左が、かつて若手エース社員の教育担当だったという課長代理。

そして「i」の・の部分が、できるかできないか微妙

だがギリギリこなせる量の仕事を的確に部下に振り分ける能力

をもった課長。

 

そうやって周りが見えた時、自分はこれから

「ああ、こうやってどんどん1つずつ左側に向かってくのか。」と思った。

若手、中堅、管理職。30歳くらいで結婚して、40代で子供を育てる。

50くらいになるとレクサスぐらいは買えるようなる。

と自分の展望がはっきりみえた気がした。

同時に最初のわくわく感が2,3℃下がる感覚があった。

 

いまこうして書きながら振り返ると、

自分には展望の見える人生は向いていなのかもしれない。

いつも最高にわくわくしていたのは、この後何が起こるか全く予想できない

状況でこれからの事をあれこれ思案する時だった。

 

(社会はずっと夢見てられるほど甘くないよ。)

そうかもしれない。でもあなたは試したのか?

一度ずっと夢を見続ける人生を試したのか?

僕は少し試してみようと思う。

失敗したら、それはその時この後どうするか考えよう。

 

2017年の展望は

展望できないような人生の一歩を踏み出す。

にしようと思う。

 

 

(Y) 2017年展望

私はただのサラリーマン、Yである。

 

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しかし、サラリーマンは見方を変えれば最強の立場であると私は考える。

 

私の会社は絶対に17:00終業、副業可という放漫さ故、私は新しい趣味を始めたり、自己投資したりしやすい立場にある。

サラリーマンは毎月と年2回,仕事さえしていれば決まった額の資本が手に入る.

私は私のようなサラリーマンほど自己投資しやすい環境はないと思う.

理念、管理、中期計画、短期計画、業務効率や目的を考慮した日々のタスクを作るノウハウが嫌でも身に付いていることも良いことだ.

実際システムとして悪くない.

私生活に応用できる。

 

新年の目標を立てた~とはいえ、実現していない人は多くないだろうか?

あなたがサラリーマンなら、きっと会社でやるのと同じ様に計画を立てるだけで日々の活動の方向性を失わずにすむと思う。

 

私は昨年計画を立てて、そして一部は実現させ、その可能性に気づくことができた。代表的な4つを紹介する.

 

1,TOIEC 700→760点とれた.

 

2,ミニマリストの考えを取り込む本を3冊読んで実行、部屋にある物の1/3は売った。

 

3,株で収入を得る→100万円を投資、リターン10%。

 

4,字をキレイに書くキレイに描けるようになった。

 

全て詳細は、今後紹介する。

それを踏まえて今年の目標を立てる。

 

 

 

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2017年展望

 

·投資で収益の基礎を築く.

·TOIEC 800 点の取得.

·ブログを一年間続ける.

·小説を30冊読む。

 

以下の遊びをする。

 

·サーフィン

·キャンプファイヤー

·ちっこい島探検

·音楽パーティー

·一週間バックパッカー

 

 

 

中期計画(5年後,2020年末,27歳までに達成.)

 

·本業=投資家,副業=サラリーマン.

·海外で仕事&生活。

·世の中全体をシンプルにする活動。

 

中期計画は多少の大胆さを含む。

 

以上、これで終わりだ。

 

2017年展望の意図にはやはり不労所得への憧れ=経済的自由、やりたい遊びはすぐやる、

今しかできないことをやる行動力、人として魅力があることへの憧れ、

自分に自信をつけたいことなどが背景にある。

 

仕事はみじんも関係ない。

 

正直なところ、やはり最終的にはサラリーマンを辞めたいということも重要である。

みんな同じ服も嫌で、好きな時間にお昼寝したい。

私には一生を捧げても良いと思える使命感がない。

 

しかし、冒頭でも述べたように考え方によれば今の時点ではこの環境がベストなのだ。

 

これらを踏まえた上でこれからどうにかなっていく自分の人生と、世の中を楽しみたい。

 

以上。

Introductionー会社を続けるか、辞めるかー

我々は選択をした後の未来を比較する為に記録する.

 

TとY, 本ブログの共同編集者である.

 

1,経緯 2,引金 3,選択 4,未来

 

我々はまずこの4つの章で我々の目的とその背景を説明する.

これを読んでいただければ我々の考える、

選択とは何か?未来とは?記録とは?を理解して頂けるはずだ.

そしてあなたが, もしこれからこの記録を横目に時を過ごすなら

introductionはいささか重要になり得る.

 

  

1,経緯

我々は誰か.

2015年ある企業. 我々は同じ部署に就職した同期である.

グループでの従業員数は数万人,売上高は数兆円を超えるいわゆる大企業である.

我々は共に, 養成プログラムに組み込まれ,仕事をしてきた.

この記事を書くまで約2年間,短期的に全国の職場に転勤を繰り返し,

研修や実務を通した教育を受けてきた.

大企業は休日の日数もそこそこ,給料もそこそこ,色々な遊びができる.

価値観の似ていた私たちは,ほとんど必然的に親密となり、

休日を始め多くの時間を共に過ごすようになった.

 

一年目,2015.

都内の銭湯,古着屋,珈琲屋を訪れた。プール,雪山登山,ライブにも行った.

フットサルもしたし,電車で適当な駅で降りて散歩するゲームもした.

映画で格闘シーンだけを集めて見た.

ただ街をぶらぶらしている時に思いつく変な数字のゲームに熱中する事もあった.

 この様に ,比較的自由に過ごせていた事もあり, 我々は会社について特に意識はしなかった.

 

二年目,2016.

入社後1年弱が過ぎた頃,私たちは別の場所,関東と九州に転勤になった.

転勤後,別々の地で1年を過ごした後,我々は

 

『 異なった選択 』

 

をした二人となった.

 

 

2,引金

我々は何故選んだか.

58時間

同じ服

同じ場所

同じ時間

毎日が同じ事の繰り返し?

 

我々2人の中に確実に,着実に選択の引金は育っていた.

何の拍子にそれが引かれるのかお互いわからないが,

年月を経て育成され, 洗練された引き金は重い,ただし, 事に引かれる時は一瞬である.

その引き金は一方では引かれ,一方では引かれずにいる.

その選択の違いが生み出す未来の記録が本ブログである.

 

何が引金を育てたか, 何故一方では引かれたか. 

これからお互いに説明できる機会があるかも知れない. 

 

3,選択

我々は何をしたか.

人生は選択の連続に成り立つ.

選択する瞬間において,一方の解に誤りも正しいもない.

全ては結果が決めることだと思う.

そしてその結果は未来に決定される.

つまり未来を手に入れる為の選択は出来ないと言い切ることができる.

 

しかし, 我々は今回一つの選択を行った.

我々も同様に, 選択に関して善悪を知る由もないく, 選択により得られる物の保証があるわけでもない .

しかし, 選ばなければならなかった. 

ほとんど同じような道を歩んできた2人がT字路に出くわし,

片方は右折し、もう一方は左折した.

 立ち竦む事なく, 我々は能動的に道を選択した事が共通点であると言える.

 

4,未来

我々が選択により得るものは.

我々はこの別の道を選んだ事をチャンスだと思う.

二人のこれから見る風景の一部を比較できる.

そのための道具として開設したのがこのブログである.

それは殆ど, 我々の為だけの忘備録で在るが,

同時に, 同様の類の岐路に立ち, 能動的な選択を望む者に, その一歩を踏み出す引金となる事も望む.

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ,  人生何も考えずにアホな事をする時間も必要なので, 選択に関係ない事も存分に記録する事をお許し願いたい.